2006年05月11日

この世に生れ落ちる意味。

私の先輩の娘さんが死んだ。
日本代表がブルガリアに負けた日に息を引き取り、グランパスが大宮に負けた日に通夜が執り行われた。そして今日出棺。

私は残念ながら葬儀には出席できなかったが、昨日遅く通夜に参加した。

先輩の娘さんは生後8ヶ月。聞けば子供用の棺だったらしいが、それでもその棺とは不釣合いで不恰好だった。いや彼女が小さすぎるのだが、それでも何か別のものは無かったのだろうか。

棺に花を手向け、沈痛な面持ちの先輩が静かに頭を垂れる。

去年の忘年会では待望の子宝に恵まれたことを、周りの人間がうんざりするほど報告してくれた先輩は昨日、言葉少なく喪主を勤め上げていた。

生後8ヶ月。私は彼女に通夜の日に初めて会った。彼女を偲ぼうにも思い出ひとつ無いのだ。通夜の会場に向かう車の中で思う。彼女が生まれようが、そして彼女が亡くなろうが、私の人生において一切の影響は無い。一日のうち数時間を彼女のために割くだけのことだ。

これで数年経てば、彼女の存在すら忘れてしまうだろう。先輩夫婦にしてもそうだと思う。彼女の死を乗り越えて、いずれ思い出になり、忘れることは無いにしても、日々彼女について語ることは少なくなって行くのではないかと思う。


8ヶ月間の彼女の人生にどのような意味があったのだろうか。


私は彼女の人生には意味や価値など無い、と考えている。それは彼女のだけではない。私達もそうだ。この世に生れ落ちたもの全ての生命に、意味や価値など無いのだ。


意味や価値など無い。

それでも生命は尊い。

だからこそ、生きていくのだ。



nikki001.jpg

posted by しょうちゃ at 20:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、珍しく考えさせる内容の記事ですね。
私は、以前、自分は何のために生きているのか、ということを真剣に考え続けたことがあります。「なぜ、生きる」、とか「般若心経」とか、生きる意味を探すために、片っ端から本も読みました。でも、結局よくわかりませんでした。
ただ、せっかく生きているんだから、生きているうちにできることを精一杯やろうと思っています。
Posted by まっちゃ at 2006年05月14日 11:58
まっちゃ様コメントありがとうございます。

「生きる事の意味を考える」より、「生きる事そのも」のが大事なんでしょう。生きている事の奇跡を我々は努々忘れてはいけません。
Posted by しょうちゃ@管理人 at 2006年05月15日 18:41
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/17683671

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。