2006年08月24日

生きることと死ぬこと。

一昨日(08/22)私が愛して止まなかった一人の人が天に召された。前に一度、彼女のことをこのBlogに書いたことがある。

BlogAnoia: 死生観を考える。

上の記事で「死に損ないのお婆ちゃんがいる」と表している人物がそうだ。去年の冬の寒さには耐えることが出来たのだが、今年の暑い夏には耐えることが出来なかったのだ。

齢92歳だった。
誰に後ろ指指されることなく、
人に迷惑をかけた以上に人を幸せにして、
自分も思う存分に生きた。

これを大往生と言わずになんと言うのか。

そして、今年になって私の心を貫くもうひとつの死があった。このBlogにも書いた私の先輩の娘さんの死だ。

BlogAnoia: この世に生れ落ちる意味。

彼女は自分の父の名も母の名も知らずに、自分の成すべきものも知らずに死んだ。生後8ヶ月。たった8ヶ月の命だった。

お婆ちゃんは、やっぱり「もう十分生きた」と思っていただろうか?
先輩の娘さんは、やっぱり「もっと生きたい」と思っていただろうか?

こんなに不公平な死でありながら、私の心に去来する寂しさや切なさと言うモノは同質で、何年生きようが、何ヶ月かで死のうが、その生に、その死に、どんな意味があって、どんな価値があったのだろうか?

正直私には答えが見つからない。

だって、お婆ちゃんの命に価値があって、先輩の娘さんの命には価値が無いなんてことは絶対に無いし、先輩の娘さんの死に意味があって、お婆ちゃんの死に意味が無いなんてことも絶対に無い。

彼女たち2人に差など無いはずだし、同じはずだ。

そんな訳で、今回のBlogAnoia的発想はやっぱりこの結論だ。


生きることに意味は無い

死ぬことに価値は無い



だから結局、無意味に生きて無様に死んで逝くのだな、俺もあんたも。そんな人生に何を恐れることがあるだろうか?


blog060824.jpg
posted by しょうちゃ at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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