2005年11月08日

死生観を考える。

俺には死に損ないのお婆ちゃんがいる。
もう末期癌でいつ死んでもおかしくないと言われて5年目だ。その頃から痴呆も始まり今では糞尿も自分で始末出来ず、老人用のオムツを穿いている。

実は今年の某日、もうダメだと言われ再入院したが、様態に変化が無く、1ヶ月入院したが、そのまま退院した。入退院は都度7度目になる。今回の退院で強く印象に残ったのは、病院の看護婦に言われた一言だった。

「良かったですね」

本当に良かったのだろうか?

癌はもはや不治の病ではない。医療技術の進歩は確実に癌と言う病を克服しようとしている。中には本田美奈子のような不幸はあるが、それでも昔よりは大分ましになって来ている。

しかし、裏を返せば「死ぬチャンスが減る」ということではないだろうか?

うちのお婆ちゃんは果たして「生きている」と言えるのか?ただ「生かされている」だけではないのか?本人は死んで楽にしてほしいと思っているかも知れないではないか。

痴呆の彼女に、その判断すら出来ないが。

俺は思うのだ。生きる権利ばかり尊重され死ぬ権利は軽視されている、と。そこで今回のBlogAnoia的発想は…。


人生の定年も60歳まで。


あとは本人の希望でいつでも安楽死させてほしい。出来るだけ苦しくない方法で。そうすれば、ある程度年金問題も解決できるのではないだろうか?

ただそんな死に損ないのお婆ちゃんでも、俺は一日でも長生きしてほしいと願っている。俺はなんて傲慢な人間なんだ。お婆ちゃんが退院した日、看護婦の言葉に俺は笑顔で答えたのだ。

「ありがとうございます」

と。我ながら殺したくなる程の傲慢さだ(苦笑)。

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posted by しょうちゃ at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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