2011年12月16日

著作権とフェアユース

引っ越しを考えている。

と言ってもBlogの、ではあるんだけど。

ことの発端は、Blogスペースの容量増加申請にある。

SeesaaBlogさんは、100MBを超えて画像などを保有するときに容量を上げてくれという申請がいる

その申請が、どうも通らない。

能書きというか注意書きに
・著作権・肖像権侵害及びブログ利用規約に反するファイルをアップロードしている可能性がある
場合には、追加依頼に応じることはできかねます。また、返信も致しかねますので予めご了承ください。

とある。申請が通らない可能性があるとしたら、この著作権という部分だろう。

ふざけるなよ?

このBlogで貼っている画像ぐらいで著作権侵害になるか?

フェアユースという言葉がある。

フェアユース - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B9

このBlogでやっていることが、フェアユースに反し、著作権者に対して著しく権利を侵害しているのなら訴えるなりすればいい。

と、息巻いてもそれはルール違反。運営側が「ノー」と言ったらそれは「ノー」だ。
※特にお金を払っている訳ではないしね。

要請があれば、それには答えるが、
私個人にも思うところがあるので、積極的に画像を消すことはしないし、このBlog自体を削除することもしない。

ただこれ以上、SeesaaBlogさんでは、私のBlogを更新できない以上、ここを出て行くしかない。

という訳で、近日中に引っ越しを行います。

ではでは。
posted by しょうちゃ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

BlogAnoia的発想「会社論」

うちの会社に1人「どうしようもない奴」がいる。

「人間的にどうしようもない」という訳ではない。そいつは遅刻もしないし、挨拶もしっかりする。非常にまじめでコツコツ仕事をしている。仕事に対してもやる気はあるようだ。ニートや引き籠り、フリータなどが千走万歩する世の中、そんな奴がなぜ「どうしようもない」のか。

所謂「出来が悪い」のだ。

言ったことが理解できない。言いたいことが伝えられない。文章も書けない。そう、コミュニケーション能力が著しく劣るのだ。この業界、とりわけSEと呼ばれる人間には必須である能力なのだ。

もちろんプログラマとして一生やっていくという選択肢もあるだろうが、そうなるとうちの会社では正社員として雇い入れるのは厳しい。正直プログラマであれば個人外注の方が人件費が安い。

んで、そいつは解雇することになりそうだ。

そうなると「退職が自己都合」という訳ではないから満額の退職一時金を払うことになるだろうし、労働監督署とかが出てきたらそれなりに対応しないといけないだろうが、そんないろいろな面倒臭いことも考えて、それでも「そいつのため」に解雇にした方が良いのではないかという結論に達しているようだ。

まぁ、詭弁だけどね。

本音のところでは人を育てる能力と体力がうちの会社に無いのだ。うちのようなベンチャーではあるが、後ろ盾もなく資金力もなく少人数でやっているような企業での人材育成は「勝手に育ってくれるような人材」でない限り、携わっていくのには厳しいのかなと。

そこでいろいろ考える。

近い将来少子高齢化が進み、優秀な若い人材を少ないパイの中を奪い合うような世の中になるだろうと予想される。大企業や有名優良企業などは競争力もあり体力もあるので、そんなに努力もしないで優秀な人材は集まっていくだろう。

けど、うちみたいな小さい会社にはどうだろうか。

絶対数が少ない買い手市場の中、あえてうちのような小さな会社を選ぶ奇特な奴はいないだろう。じゃあ、どうやったら今後優秀な人材を抱える大企業と競争し、渡り合っていけばいいのだろうか?淘汰されるのを待つだけのジリ貧なのか?

そう。小さい会社だからこそ「人材育成力」が必要なのだ。

「優秀ではない人材」をうまく育成して行かなければ、今後うちのような小さい会社は資本主義の競争原理の中で生きていけないのだと私は考える。

しかし、私がそう言っても、うちの上司どもは全然理解してくれない。「人は育てるのではなく(勝手に)育つのだ」とか「(技術は)こちらが教えるのではなく盗むものだ」とか、それはそれで良かった時代もあるんだろうけど、そんな一辺倒な考えで今の世の中渡っていけるのか?え?どうなんだよ、バカヤロー。

古臭い旧態然とした考えと心中したくねぇんだけど。

巷では「ワーキングプア」とか「ロストジェネレーション」とかいう言葉が持ち出されている。引き籠りやニートとは違うのだろうけど、フリーター、日雇い労働、派遣などで生計を立てている世代に対して言っているとか。私はちょうど「就職氷河期」と言われ始めた年に入社し現在に至っている。私の友人は一浪したせいで就職口がなく、未だにフリーターな奴もいる。広義では私たちから下の世代が「ワーキングプア」「ロストジェネレーション」とか言われる世代なんだろうな。

そんな世代を作り上げたのは紛れもなく私たちより上の世代。そういう意味では社会的責任は非常に大きいのだが、そんなことは全く考えずに「本人たちの自覚がない」や「社会が悪い」「時代が悪い」「不景気だから」と他のせいにしている。

何というか…。これがバカの壁って奴なんだろうか?

今後社会…というか会社の、特に中小・零細企業の役割は大きいと思うんだよね。大体子供の絶対数が減ってくるんだから受験戦争も激しくないティーンを過ごしてきた連中を雇い入れて育てていかないといけないんだから。

んで、今回のBlogAnoia的発想は…


会社で人を育てて何が悪い!


育たないから人を切る…。それは時代に負けたってことだよ?社長。
結局その選択肢しか出来ないのなら、この先この会社に未来はないよ。
この会社のために早く引退しなさい。

頼むから。

posted by しょうちゃ at 18:30| Comment(3) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

殺すということ。

昨日のエントリーで、「生きることに意味は無い。死ぬことに価値は無い」という私の考えを書いた。

BlogAnoia: 生きることと死ぬこと。

では、「人を殺すこと」は許されるのだろうか?
意味も価値も無いものを奪っても、それは罪ではないのではないか?

やはり、それは違うと思う。

あまり難しい話ではない。いくら無価値であろうとも、いくら無意味であろうとも、「他人のモノを勝手に奪ってはいけない」のだ。こんなに当たり前のシンプルなことを理解できない人間があまりにも多すぎる。

本当に馬鹿じゃないかと思う。
いや、きっと馬鹿なんだろう。

馬鹿は生きる価値が無いどころか、「生きていては害になる」。ならば殺さなければいかんだろ。害虫を殺すように。

では、人ではない命はどうか?動物などはどうか?
ちょうどこんな話がある。

「子猫殺し」で日経に抗議殺到
「子猫殺し」直木賞作家 背景に「日本嫌い」

子猫だろうが何だろうが、上の理屈が当てはまる。

他人のモノを勝手に奪ってはいけない

子猫の命は子猫のもの。たとえ飼い主だろうが何だろうが、他人のものを勝手に奪うなど、お前は何様だ?ただの無価値に生きている無意味な人間だろ?子猫の命を奪って良いほど、こいつは高尚な存在であるはずも無い。こいつもただの命ではないか。


では、家畜はどうか?死刑は?一言で「殺すということ」と言っても様々な方向がある。それはまた次の機会に自分の考えを垂れ流すとして、今回は自分以外の命についての大基本、

他人のモノを勝手に奪ってはいけない

これを、BlogAnoia的発想としておこう。

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posted by しょうちゃ at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月24日

生きることと死ぬこと。

一昨日(08/22)私が愛して止まなかった一人の人が天に召された。前に一度、彼女のことをこのBlogに書いたことがある。

BlogAnoia: 死生観を考える。

上の記事で「死に損ないのお婆ちゃんがいる」と表している人物がそうだ。去年の冬の寒さには耐えることが出来たのだが、今年の暑い夏には耐えることが出来なかったのだ。

齢92歳だった。
誰に後ろ指指されることなく、
人に迷惑をかけた以上に人を幸せにして、
自分も思う存分に生きた。

これを大往生と言わずになんと言うのか。

そして、今年になって私の心を貫くもうひとつの死があった。このBlogにも書いた私の先輩の娘さんの死だ。

BlogAnoia: この世に生れ落ちる意味。

彼女は自分の父の名も母の名も知らずに、自分の成すべきものも知らずに死んだ。生後8ヶ月。たった8ヶ月の命だった。

お婆ちゃんは、やっぱり「もう十分生きた」と思っていただろうか?
先輩の娘さんは、やっぱり「もっと生きたい」と思っていただろうか?

こんなに不公平な死でありながら、私の心に去来する寂しさや切なさと言うモノは同質で、何年生きようが、何ヶ月かで死のうが、その生に、その死に、どんな意味があって、どんな価値があったのだろうか?

正直私には答えが見つからない。

だって、お婆ちゃんの命に価値があって、先輩の娘さんの命には価値が無いなんてことは絶対に無いし、先輩の娘さんの死に意味があって、お婆ちゃんの死に意味が無いなんてことも絶対に無い。

彼女たち2人に差など無いはずだし、同じはずだ。

そんな訳で、今回のBlogAnoia的発想はやっぱりこの結論だ。


生きることに意味は無い

死ぬことに価値は無い



だから結局、無意味に生きて無様に死んで逝くのだな、俺もあんたも。そんな人生に何を恐れることがあるだろうか?


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posted by しょうちゃ at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

オタク論ぶってみる。

Jも中断しているし、W杯開幕まで更新が無いのも寂しいので、こういうBlogを立ち上げたら書いて見たいと思っていたことを書こうかなと。

要は、評論ぶって好きな事を書こうかなと。ちなみに当時のネタ帳を見ると書きたかったネタって言うのは、こんなものだったようです。

・左右論
・漫画論
・アニメ論
・麻雀論
・日本論
・野球論
・サッカー論
・プロレス論

などなど。他にもいっぱいあるけど、ノートの端の方にちょろ書きしているものもあるので、挙げていくとキリが無い。まぁ、そんな中で今日は「オタク論」について評論ぶってみようと思います。きっかけはこれ↓。

2006-05-24 オタクは死にました
■[オタク]オタキングの涙・・・・

岡田斗司夫の「オタク・イズ・デッド」というイベントが開かれたらしく、そのイベントに参加した人のエントリーや寄せられているコメントを見て少し思う所があって。

まず「オタク・イズ・デッド」というタイトル。これが非常に象徴的だなぁと思うんですよね。レニー・クラビッツの「Rock & Roll Is Dead」という曲を知らないと、岡田斗司夫がどういう思いで「オタク」を捉えているか、参加者に何を期待しているかを明確に理解できないんじゃないかな?

この世代特有のアカウンタビリティ(説明能力)の無さ、というか「知らなければ置いてきぼり式」の表現方法というか…。永野護とか庵野秀明とかある種「楽屋落ち表現方式」はどうも苦手だなぁ、私は。(ーー;

いや、岡田斗司夫自体は嫌いな人じゃないよ。さらにこういうタイトルを批判しているわけでもないんだけどね。

オタクのオタクたる存在証明と言うのは自分の嗜好に対して、どれだけ思い入れがあるかを表現したり主張したり、相手に理解を求めるために資料を作成したり、同人誌を作ったりという活動そのものが必要不可欠だった時代があって。それこそ自分の好きなもの、例えばガンダムを自分がどれだけ好きかを相手に伝えるために、幾億もの言葉を連ねて表現したりして。

その「奇異さ」がオタクであって、それが畏怖や嫌悪感を生んでいたのではないかと。

そして現代。結局オタクって言うものが多様化されすぎちゃって、それを相手に伝えようとするんだけど、例えば作品中の情報量も多く、自身も整理できていない状態で、さぁ困ったどうしよう…。


「萌え〜」


みたいな(何が?)。要は多様化に左右されない表現として、その言葉自体の意味も定義も曖昧で言葉尻のイメージだけで明確に相手に伝えることが出来る便利な言葉を作ってしまったわけですな。

これって「ゆとり教育」によって若い人のボキャブラリや文章の構成力が無くなったせいだという人もいるけど、私個人の考えとしては、岡田斗司夫や私達みたいに多くの言葉を駆使して自分の嗜好を表現しようとする行為そのものに対してのアンチ・テーゼのような気がするんだよね。

それは理屈を表現できない(あるいは敢えてその手法を取らないで表現しようとする)部分を、より感覚的に映像的に表現しようとして生まれた言葉だと思うんですよ、「萌え」と言う言葉は。

「エロ可愛い」という言葉にしても、言葉の定義自体は良く解らないけど、感覚的に解り易い。まぁ、これは映像や情報が氾濫している前提で成り立っている言葉なんだろうけどね。「エロ可愛い」→「倖田來未」→「あぁ、あんな感じか」みたいな。

レポート中では、世代論のようなもので語っていたけど、結局こういうイメージ語を許容できるかどうか、だと思うんだよね。例えば…

「『涼宮ハルヒの憂鬱』良いですよね!」
「どんなところが?」
「長門が『萌え』なんですよ」

要するに、これが許せるかじゃないですかね?


さて、イベントの最後に(と言うか途中で?)岡田斗司夫が「オタクは死んだ」と宣言して泣いてしまったらしい。う〜む、そうなのか。オタクは死んだのか。まぁ、詳しくはレポートを読んで頂いた方が解り易いと思いますが、簡単に言うと、世代間で「オタク」という概念に共通性が無くなってしまい、「オタク」の定義が曖昧になってしまった、ということらしい。

要は、オタクというカテゴライズは意味を失ったということか?

しかし、本人がイベント中で語るオタクの定義として「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力を持っている人たち」としているなら、そういう人達がいなくなることは無いだろう、と私は思うのです。

で結局、レニー・クラビッツの「Rock & Roll Is Dead」な訳ですよ。あらゆるジャンルの音楽が氾濫して、「これがロックだ!」という明確な定義が出来ない現在において、レニーの言う通り本質としてのロックは死んだのかも知れないけど、「ロックとは音楽のジャンルのことではなく生き方そのものなんだ」と言ったのは、ミック・ジャガーだったかキース・リチャーズだったか(調べたけど解らず…(^^;)。そう、「生き方」としての「ロック」は死んではいないはずだ。


だからさ、岡田斗司夫さんよ、この言葉を送るぜ!


「オタク」は人を区別する言葉じゃなく、

「生き方」そのものなんだぜ?

ベイビー




言ってることは格好良いっぽいけど内容はバカだよなぁ…。(^^;







posted by しょうちゃ at 22:35| Comment(0) | TrackBack(1) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

Merry Christmas!!

santa001.jpg

毎年クリスマス・イヴは家族で過ごすことに決めている私です。いや、彼女がいないからではないのです!…そ、そりゃあいないですけど、い〜んです!元来クリスマスっていうのはキリストの誕生を粛々と感謝しながら過ごすのが正しいクリスマスの在り方なのです!

そんな事は置いといて、クリスマスと言えば、気になったニュースが…。

米国で無人の車にダイヤの婚約指輪、失恋が原因か

この犯人(?)は、もしこの人の車にカギが掛かっていたら、盗んで行ったんですかね?盗まれずに、さらにダイヤを置いていくというのはどういう心境だったんでしょうか?それにしても、車を取られずに、さらにダイヤをプレゼントされた本人は快く受け取れないですよね。

もうひとつ。

サンタのXマスプレゼントは…コカイン=ブラジル

マフィアのプレゼントらしいんですが、気が効いているのかどうなのか…。
微妙ですね(ーー;
この場合貰った人は嬉しいんでしょうけど、見つかったら最悪です。

サンタの格好で警備=ジャカルタの高級ホテル

これって本人たちはサービスのつもりでやってるんでしょうけど、ジャカルタって暑いところでしょ?もし、サンタの姿でうろうろされたら、暑苦しいと思うのだけど…^^;

う〜む。クリスマス関連のニュースを見てきて私は気付きましたよ。
と言うわけで、今回のBlogAnoia的発想は…。


喜ばれないプレゼントは…


プレ損トと呼ぼう!!


…ダジャレか!!(^^;


町にはクリスマスソングが流れて恋人たちは雰囲気を出して歩いているんでしょうね…。皆さんお幸せに。そうでない人もお幸せに。今あるこの幸せな瞬間は、紛れも無く今この国が平和だからです。

今日という日に刹那、なぜ今幸せなのかを考えてみてください。

それではMerry Christmas!!↓は私からちょっとしたプレゼントです。

"Happy Christmas (War is Over)" John Lennon & Yoko Ono

So this is Christmas
And what have you done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
And what have we done
Another year over
And a new one just begun
Ans so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

War is over
If you want it
War is over
Now...
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2005年12月07日

マリリン・マンソンが結婚?

以下の記事によると、ごく平凡で小規模な結婚式だったらしいです。
MARILYN MANSON、結婚
マリリン・マンソン、挙式!
マリリン・マンソンが結婚!

なんか、5年間付き合って結婚。絵に描いたような普通な結婚だ。正直ツマランと俺なんか思ってしまった。(−−;自分のプライベートな事は意外と真面目で質素な人なのかもしれないねぇ…。

いや、しかし昔小林よしのりがゴーマニズム宣言か、どこかで「普通であろうとすることの異常性」という事を描いていた。確かに、現代社会の多様化する価値観の中で、何が普通で何が異常か、という境界線があやふやなのに、普通であろうとする行為は逆に滑稽なのかもしれない。

一億総中流化…。昔TVで日本の社会経済を差してそう呼んでいた事を思い出す。「皆と同じ」事が「普通」であるとは限らない。その世界の中心では「普通」でも、大きな視野に立ってみると、逆にその異常性が見えてくる。

今回のBlogAnoia的発想は、


普通であろう等と言う幻想は捨てよう!


無意味だ!



誰でもどこかに異常性を秘めているんだ。気にするな!俺!<お前か!

MARILYNMANSON001.jpg
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2005年12月01日

スプーン曲げが世界を救う!

yurigera001.jpg

ユリ・ゲラーがスプーン曲げで中東和平に寄与

なんじゃこりゃ?(?_?)
記事によると―――
ゲラーさんはイスラエル赤十字の重要な募金組織「メイゲン・デービッド・アドムの友」の会長をしているが、カルミーレイ外相によると、交渉開始に当たりゲラーさんがスプーン曲げで両者間のよそよそしい雰囲気をほぐしただけでなく、協定案の主要事項にみんなの注意を集中させ、細部の重要な詰めの段階でも節目節目で意見相違の克服に努めた。
―――なのだそうな…。


って、すげぇ〜よ!ユリ・ラー!!


超能力がインチキだ!と言っている奴は、この記事を見てどう思うのか。これはまぎれもなく「超能力」では無いのか?コミュニケーションを超えた能力ではないのか?素晴らしいではないか。

芸は身を助けるとはまさにこのことだ!(芸て…)

同じインチキ臭いものでも「ホワイトバンド」とはエライ違いではないか。よし!これからは「ホワイトバンド」を身に付けるより、曲がったスプーンを持ち歩こう!

ユリ・ゲラーのようにスプーン曲げを極めていけば、こういった世界平和に繋がっていくのだ。よし!こうなったら皆でスプーン曲げを練習して超能力者を増やしていこう!そうすれば戦争の無い平和な世界になるはずだ!

というわけで、今回のBlogAnoia的発想は…。


超能力は世界を救う!


人類の平和とは、そういうものかも知れないね。ただひたすらにスプーンが曲がることを祈る純朴な人間しかいない世の中なら、平和だろうなぁ…。

余談だけど、超能力と言うと必ず思い出す人物がもう一人いる。それは彼だ。
kiyota001.gif
超能力少年「清田益章」君だ!この記事を見ると、もう超能力者は引退したらしいですけど、超能力者って引退できるんですねぇ…。彼も念写を極めれば、ユリ・ゲラーのように世界平和に貢献できたかもしれないですね。

オマケに、当時のTV番組を知っている人には、大変懐かしいページを見つけました。↓こんなものです。

きじばとTV回想録 超能力の話


posted by しょうちゃ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

一人称を考える。

俺は敬語が苦手なのだ。特にビジネスマナーのようなものは、30歳を超えた今でも身に付いてないと自負できる。

その代表するものが「一人称」。いまでも客先で平気で「俺」と出てしまう。もちろん、常に緊張して出さないようにしているが、砕けた感じの時に、ふっと出てしまうのだ。なんでこんな話をするかってぇと、つい最近客先で出てしまい、うちの会社の上司と同席だったため、帰りの車の中でこっぴどく怒られた、という顛末がありましてですね…。

基本的に、育ちが悪いんだってば、俺は。

こういうのって知的格差がモロに出てくるよなぁ。まぁ、俺ってば根っからの職人気質なんだなぁ、と。

そうそう!皆さん知ってました?社会人の一人称は「わたくし」が常識なんですって。「わたし」でも「自分」でもいけないんだって!おいおい、俺みたいな30代のムサイ男が「わたくし」なんてキモイ言葉言えるかつ〜の!

↓一応参考に。
社会人基本マナー:基本マナー

大体、こういう小難しい社会形成をしているから、実社会に適合できない人間を作り出してしまうのだ。ビジネスの場でも最低限の敬意を払っていれば、多少の言葉遣いも許されて良いと思うのだが、如何だろうか?

そこで今回のBlogAnoia的発想は…。


敬語なんてイラネェ!


でも、これから「俺」と出ないために実生活でも「私」と言うことにしよう。だから当Blogでも一人称は「私」に変更。今後ともよろしく。

追伸。
そういえば、前に「オイラ族」なんて言う面白い見解を見せてくれた「浦和応援サイト、サポティスタ(笑)の暴走について」は更新を停止してしまってますね…。

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2005年11月08日

死生観を考える。

俺には死に損ないのお婆ちゃんがいる。
もう末期癌でいつ死んでもおかしくないと言われて5年目だ。その頃から痴呆も始まり今では糞尿も自分で始末出来ず、老人用のオムツを穿いている。

実は今年の某日、もうダメだと言われ再入院したが、様態に変化が無く、1ヶ月入院したが、そのまま退院した。入退院は都度7度目になる。今回の退院で強く印象に残ったのは、病院の看護婦に言われた一言だった。

「良かったですね」

本当に良かったのだろうか?

癌はもはや不治の病ではない。医療技術の進歩は確実に癌と言う病を克服しようとしている。中には本田美奈子のような不幸はあるが、それでも昔よりは大分ましになって来ている。

しかし、裏を返せば「死ぬチャンスが減る」ということではないだろうか?

うちのお婆ちゃんは果たして「生きている」と言えるのか?ただ「生かされている」だけではないのか?本人は死んで楽にしてほしいと思っているかも知れないではないか。

痴呆の彼女に、その判断すら出来ないが。

俺は思うのだ。生きる権利ばかり尊重され死ぬ権利は軽視されている、と。そこで今回のBlogAnoia的発想は…。


人生の定年も60歳まで。


あとは本人の希望でいつでも安楽死させてほしい。出来るだけ苦しくない方法で。そうすれば、ある程度年金問題も解決できるのではないだろうか?

ただそんな死に損ないのお婆ちゃんでも、俺は一日でも長生きしてほしいと願っている。俺はなんて傲慢な人間なんだ。お婆ちゃんが退院した日、看護婦の言葉に俺は笑顔で答えたのだ。

「ありがとうございます」

と。我ながら殺したくなる程の傲慢さだ(苦笑)。

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2005年11月04日

証券取引システムのトラブルが相次いでまふ…。

富士通に賠償請求も 東証取引のシステム障害(中日新聞)
東証の取引停止、原因はプログラムミス(ITmediaニュース)
富士通、東証システム障害で謝罪(ITmediaニュース)

そして、今日名古屋証券取引所でもシステムダウンのニュースが。

名証、午前の取引停止 相場システムにトラブル(中日新聞)

俺もソフト屋なので、こういうニュースには敏感なのよ。
それにしてもF社のソフトウェア部門と言えば、俺らがこの業界に入った頃は技術力の高さが売りだったような気がするんだけど、俺が最近見た某パッケージも質が悪かったし、どうなってるんだろうか?

あ、名証のシステムはF社じゃ無いかも。^^;まぁ調べるのも面倒臭いので。

個人的な意見では、今のイントラネット技術を使った中央集中型のシステム構築は限界が来ているのかもね。クライアント/サーバー系とは言わないけどある程度分散型のシステム構築が必要なのかも。

う〜む、この東証のシステムダウンの話とついでに、今後は分散型のアーキテクチャが有効ですよ、みたいな方向で提案を書いてみて、ローラーでもしようかな?こういうのは旬を逃さないようにすることが大事だからなぁ…。

そういえば日経コンピュータにこんな記事が載ってたな。
深刻化する性能問題 対症療法は、もう限界

東証のシステムダウンの記事を読んで始めに浮かんだのは、この記事だった。でも、今のヘタレSEでは、こういう発想は難しいっすよ。構造化とか本気で考えて設計している奴いないだろ?(俺もだけど…)

もともとインフラやハードの性能に依存するシステム構築をする方が悪い。

本来、ここら辺が俺らソフト屋の腕の見せ所じゃないか、と思う。ハードがヘタレな部分を俺らソフト屋が知恵を絞って補っていく。そういう「気概」のようなものが昔のエンジニアにはあったよなぁ…(しみじみ)

そういえばつい先日FDの開発した人が亡くなられたとか。FDお世話になった人多いんじゃね?俺は「YF」を使ってたけどね。先人に負けずに俺も頑張ろう。


う〜む、話は大きく脱線したけど、今回のBlogAnoia的発想は…。


バグではなくて制限事項です!


F社はこのくらい開き直ってほしいな。某サポセンみたいにな。

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2005年10月20日

通販について。

俺はインターネットの通販が大好きで、ついつい、いろんなものを買ってしまう。この前衝動買いをしてしまったのはこれ↓


ふたば☆ちゃんねるでお馴染みのOS娘のファンブックらしい。^^;なんか気になって買ってしまった。この前の買ってしまった「ツンデレ大全」なるムックもそうだけどな。


そんな俺が最近気になっているのがこれ↓


画像だけはこれ↓
oppai001.jpg

これ、すごくない?何に使うのかイマイチ解らないけど、これがAmazonで売っているって言うところが、すごくアホらしくって好きw。でも税込みで181,650円って高くない?2,3万円なら買っても良いかなって思うけど…。<買うんかい!

BlogAnoia的発想としてはこうだ!


おっぱいは買える!!


だから何だとは聞かないで…。
posted by しょうちゃ at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

トイレより便所という方が好き。

TOTO、「トイレ川柳」入賞作50句を発表
TOTO:「トイレ川柳」入賞作品発表 入賞作品の一覧

トイレ川柳ってナカナカ面白いよね。有名なのはサラリーマン川柳っていうのがあるけど、もっと細分化してSE川柳とか営業マン川柳とかもあるよね。こういうのって洒落っ気があって、俺は好きなんだ。

トイレ川柳で俺の琴線に触れるものをちょっと紹介する。

間に合った! 仏はいるが かみがない
洒落っ気があって良いです。紙と神をかけてるんですね。

音立てぬ ように頑張る カレの家
彼女と彼の微妙な関係がわかりますよね。

彼の名を そっとトイレで 呼んでみる
「トイレ」という場所で、こういう品のある情勢を想像するところに味噌が…。

物言わぬ トイレに心 癒される
これはあるよね。


話は変わるけど、便所の事を「雪隠」と言うよね。語源を調べてみたんだけど、こんな感じだった。↓
「せっちん」の由来について考える

中国の故事を使って汚い場所をさも高尚な場所のように洒落て言うところが日本語というか日本の文化の良いところですよねぇ。

俺も調子に乗って、一句捻ろうかな。

立ちションベン 雪で隠して 湯気が立つ

お粗末。

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2005年09月22日

愛しの「リタ」について思う。

lita.jpg

リタと言っても、WWEに所属しているディーヴァじゃないぞ。こっちのこと

最大級ハリケーン「リタ」、130万人に避難命令

まぁ、リタの得意技が「ハリケーン・ラナ」ってんだから、まったく関係無いわけではないけどね(^^;。それにしても、アメリカは大変だねぇ…。
この前のハリケーンも凄かったらしいじゃない。「カトリーナ」だっけ?日本も台風があって結構被害が出るけど、アメリカは洒落にならないよな。最近異常気象とか多いよねぇ。これってどこに原因があるんだろう?

そこでBlogAnoia的発想で原因を究明しよう!という試み。

バタフライ効果」って聞いたことあります?「北京の蝶」とも言いますけど。「北京で蝶が羽ばたけば、ニューヨークでは嵐が起こる」というカオス理論の「決定論的な法則でも,初期条件のわずかな差が挙動の大きな違いを生み,その予測が困難化すること」を簡単に説明したもの(カオス理論に関してはここを参照)。

難しいなぁ!もう!(^^;

俺も大学で自律型プログラムを作ったことがあって、その時に参考にして本に書いてあったけど、今も昔もさっぱりパリジェンヌだ!(意味不明)

とりあえず、結果として最大級ハリケーン「リタ」が発生したんだろ?だったらその原因であるニュースが北京にあるはずだ!探せ!探すんだ俺!

北京の公衆トイレに新基準「ハエ2匹以上は不可」



…(^^;え?



なるほど!こういうことか!

北京でトイレ掃除をする。
      ↓
ハエは2匹まで。3匹目のハエを追っ払う。
      ↓
逃げ惑う3匹目のハエ。一所懸命羽ばたく!
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しかも北京の公衆トイレごと、って結構な数じゃね?
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バタフライ効果でカオス理論で、うにゃうにゃ…。
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最大級ハリケーン「リタ」発生!
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マズ―――(゜A゜)―――――ッ


こ、これは不味いでしょ。これで米中関係が悪化でもしたら第三次世界大戦に発展しかねないぞ!ガクガク((゜Д゜))ブルブル…


というわけで、今回のBlogAnoia的発想は…、

「世界平和のためには北京のトイレ掃除をしてはならない!

お後が宜しい様で…。

posted by しょうちゃ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(1) | BlogAnoia的発想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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